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東京高等裁判所 昭和43年(ラ)649号 決定 1969年10月15日

抗告人(相手方・被告) 国

相手方(申立人・原告) 家永三郎

訴訟代理人 長野潔 外一四名

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

抗告人は、「原決定のうち相手方の申立を認容した部分を取消す。相手方の申立を却下する。手続費用は全部相手方の負担とする。」との裁判を求め、抗告理由として別紙第二のとおり主張した。

案ずるに別紙第一記載の各文書(本件文書という)は、以下に述べるとおりいずれも民事訴訟法第三一二条第三号の文書に該当するので、その提出を命じた原決定は、結論において正当である。

一件記録によれば、本件損害賠償請求訴訟における相手方(原告)の主張は、相手方の著作した高等学校教科書「新日本史」原稿についての昭和三七年八月および三八年九月各検定申請に基づく検定処分によつて、文部大臣ほか文部省勤務の国の公務員らが、相手方の有する表現の自由を違法に侵害したから、相手方は抗告人(被告)に対してその損害の賠償を求めるというにあることが明らかである。そうして右教科書原稿についての検定の事実(三八年四月不合格処分、三九年三月条件付合格処分)は争いないのであるから、抗告人と相手方間には、相手方の有する表現の自由に対し、抗告人が、相手方の著作に対する所管行政庁の検定という方式をとおして、これを制限したという法律関係が存在することが認められる。(検定申請者が誰かということは右法律関係の存否を判定する場合に問題にならないことである。)そうであるとすれば、検定実施者が検定の手続に関して作成することを法律上要求され、かつ作成した文書であつて、検定内容(判定理由)を構成する文書は、一応右法律関係について作成された文書といわなければならない。

これを本件文書に即して考えるならば、先ず一般的にいつて、抗告人の有する表現の自由、学問の自由は、公共の福祉という見地からのみ制約することができるものであり。この制約は特殊例外的な修正原理である。従つて、表現、学問の自由を制限する場合には、公共の福祉の内容が具体的に明らかでなければ合法的といいがたく、教科書検定という方式による自由の制限の場合も、もとより軌を一にする。そうして、国が教科書検定を行なうについて、文部省に担当局課と教科用図書検定調査審議会を置き、同審議会の答申に基づいて文部大臣が検定をすることを法定していること、文部省が審査手続に関し教科用図書検定規則を定め、かつ検定基準を告示していることおよび文部大臣は審議会の答申どおりに検定する慣行であること(被告第一準備書面による)は、いずれも検定制度の運用の公正を、制度上手続上保障しようとするにあることが明らかであるが、それらは同時に、検定によつて制限されることのある表現の自由、学問の自由の制限理由を明確にすることをも一つの目的とするものと考えられる。抗告人は検定の趣旨に関し、「教育の機会均等の確保、教育水準の維持向上、適切な教育内容の保障を図るという国の責務を果すためである。」と述べていて(被告第一準備書面)、右陳述は基本的にはなんら誤りではないとしても、このような包括的概念をもつて具体的場合における表現、学問の自由の制限基準とすることは事実上不可能である。具体的場合において、特定の教科書原稿に対する検定が、手続上内容上公正であり、かつ公正であることに疑をもたれないためには、原稿のどの部分が検定基準のどの項目に牴触するかが明確に指示されることを必須の要件としなければならない。このように考えるならば、文部大臣の判定結果の通知に際して、検定基準の各項目との関連を文書によつて指摘しない行政慣行である以上(被告第一準備書面による)、判定に先立つて作成される文部省調査官の調査意見書、評定書、審議会調査員の調査意見書、評定書は、いずれも文部大臣が検定によつて行なう、表現、学問の自由の制限の理由を確知するための資料として、検定制度上作成を要請されている文書と見るべきである。もちろんこれらの文書が同時に、行政庁内部における事務処理上必要な文書としての性格を有することは否定できないが、それのみに止まると解することは正当でない。また、審議会の上述の役割からみれば、これらの文書が文部大臣の固有の思考過程に属する文書に過ぎないとすることも失当といわなければならない。

以上の理由により、本件文書は本件法律関係について作成された文書であると判断する。

次に抗告理由(二)について検討すると、民事訴訟法第二七二条にいう職務上の秘密とは、公表することによつて国家利益または公共の福祉に重大な損失、重大な不利益をおよぼすような秘密をいうと解するが教科書検定に際して判定理由を開示することはむしろ検定手続の公正を保障するゆえんであつて、開示にともない、審査に当つた公務員の意見がおのずから知られることがあつても、それは担当者としても所管行政庁としても当然是認すべきことであり、それがため国家利益や公共の福祉に重大な損失或いは不利益がおよぶとは考えられない。要するに、個々の担当者の意見が同条にいう職務上の秘密に該当すると解することはできないから、論旨は理由がない。

上述のとおりであつて、結局本件抗告は理由がないことに帰するから、抗告理由(一)についての判断を省略して抗告を棄却することとし、抗告費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 近藤完爾 田嶋重徳 吉江清景)

別紙第一

(一) 相手方の著作にかかる高等学校新日本史(昭和三七年八月一五日検定申請)について、昭和三八年二月二〇日教科用図書検定調査審議会の社会部会日本史小委員会に提出された三名の調査員の各調査意見書および評定書並びに教科書調査官の各調査意見書および評定書

(二) 相手方の著作にかかる高等学校新日本史(昭和三八年九月三〇日検定申請)について、昭和三九年三月一六日教科用図書検定調査審議会の社会部会日本史小委員会に提出された三名の調査員の各調査意見書および評定書並びに教科書調査官の調査意見書および評定書

別紙第二

抗告の理由

(一) 原決定によつて提出を命ぜられた本件文書(調査員ならびに教科書調査官の調査意見書および評定書)は、いずれも民事訴訟法第三一二条第一号にいう「当事者カ訴訟ニ於テ引用シタル文書」にあたらない。

(1) すなわち、同条項は単に「訴訟ニ於テ引用シタル文書」と定めているのであり「引用」の語義からして、準備書面等においてその文書の文言等について引用して陳述することをさすものと解するのが相当であつて、単にそれらの文書が存在することを述べるに止まる場合は、これに該当しないと解すべきである。

(2) 原決定は右法条にいう「訴訟ニ於テ引用シタル文書」なる文言を、とくに挙証のために引用した場合にのみ限定して解釈しなければならない根拠を見出すことができない旨判示するが、「訴訟ニ於テ引用シタル文書」の意義については、文書そのものを証拠として引用した場合、すなわち、文書所持人が当該文書を証拠として引用する意思を明らかにした場合に限るものと解すべきである(兼子一、民事訴訟法条解七九三頁、法律実務講座四巻二八三頁)。

同法条に規定する文書提出命令の制度は、挙証者のため、反対当事者や第三者の手中にある書証を裁判所の命令によつて利用させようとするものである。これは、当事者の責任と負担において訴訟の進行を図ることを建前とする民事訴訟においては、異例のことである。しかも、文書提出命令が対立当事者に発せられる場合を考えてみると、対立当事者は自己の意に反してまでも手中にある書証を相手方のため利用させることを受忍する義務を負い、もし、この命令に従わない場合は裁判所により当該文書に関する相手方の主張を真実と認められる危険を負担しなければならないのである(民事訴訟法第三一六条)。このような不利益な対立当事者に負担させるには、相応の合理的な理由がなければならない。いま、民事訴訟法第三一二条第二号の場合をみると、挙証者がもともと文書の所持者に対して当該文書の引渡しまたは閲覧を求めることができる場合であるから、所持者が対立当事者であつても、これに対して文書提出命令を発せられることがあるのも当然である。次に、同条第三号の場合は、文書が挙証者の利益のために作成されたものである場合か、または挙証者と文書の所持者との間の法律関係について作成されたものである場合であつて、当該文書に対して挙証者が有する利益がいずれも大きい場合であるから、提出命令によつてその利益を保護する必要が認められるのである。このように民事訴訟法第三一二条第二号又は第三号の場合は、いずれも対立当事者について文書提出命令を受忍すべき合理的な理由がある場合である。それでは、同条第一号の場合はいかなる合理的な理由があるのか。もし、「訴訟ニ於テ引用シタル文書」の意義を当事者が文書の存在を引用した場合の意味に解すると、たとえば、準備書面においてある文書の存在について一言半句でも言及した以上、たちまちにして当事者は、当該文書の提出を義務づけられることになる。しかし、対立当事者にそのような不利益を負担させるに足る合理的な理由は見出せない。これに対して「訴訟ニ於テ引用シタル文書」の意義を、当事者が文書そのものを証拠として引用した場合、すなわち口頭弁論や準備手続においてあるいは未陳述の準備書面において文書を証拠として提出する意思を表明した場合の意味に解すると、どうであろうか。当事者は自己に有利な場合に文書を証拠として提出するのが通常であるから、当事者がいつたん文書を証拠として提出する旨の意志を表明した以上、当事者に提出義務を負担させてもその不利益はさほど大きくなく、禁反言の法理に照らして、そのような措置は是認できるところである。このように、「訴訟ニ於テ引用シタル文書」の意義を、当事者が文書そのものを証拠として引用した場合の意味に解することによつて、はじめて同条第一号は合理的な制度として理解できるのであつて、同条項はそのように解するのが正当である。

このように原決定が提出を命ずる文書は、いずれも右の意義での当事者が「訴訟ニ於テ引用シタル文書」にあたらないことは明らかである。

(3) さらに、抗告人の提出した準備書面(第一)の記述をみても、これらの文書は、原決定における、「訴訟ニ於テ引用シタル文書」の解釈に該当しないことは、明らかである。

すなわち、原決定は、同条項にいう「引用」とは、「当事者が口頭弁論において、自己の主張の助けとするため、とくに文書の内容と存在を明らかにすることを指すものとするのが相当である。」(傍点被告)としているが、抗告人の提出した第一回準備書面五(一)および(二)記載の抗告人の主張は、被抗告人著「新日本史」の検定の経過を述べるに当り、検定申請のあつた右の原稿について関係教科書調査官の調査が行なわれ、その調査評定結果が主査教科書調査官と副主査教科書調査官によりとりまとめられたこと、同原稿を審議会所属の調査員三名に送付して調査に付し、各調査員より調査評定結果の回答があつたこと、ならびに教科用図書検定調査審議会社会科部会の日本史小委員会の会議に、三名の調査員および教科書調査官の各調査意見書、評定書がそれぞれ提出され、主査教科書調査官より各調査意見書および評定書について説明が行なわれたことを述べたものにすぎないのである。したがつて、これをもつて「自己の主張の助けとするため、とくに文書の存在を明らかにした」ものとすることはできない。まして、右に述べたところから判るとおり、抗告人は、提出を命ぜられた文書の内容については、何も述べていないのであるから、「自己の主張の助けとするため、とくに文書の内容を明らかにした」ものといえないことは明白である。

(二) なお、民事訴訟法第二七二条の類推適用によりこれらの文書については提出義務はない。

かりに、文書提出命令にしたがつて本件文書を提出した場合、その記載内容から個々の調査員、教科書調査官が検定手続においてどのような意見を述べたかが公表されることになる。このように個々人の述べた意見が公表されることになると、検定申請者等から不当な圧力が加わり、検定の公正が保たれないおそれが多分に予想され、自由な意見の表明が抑制されるおそれがあり、今後、教科用図書について公正かつ慎重・綿密な検定を行なううえに重大な支障が生ずる。したがつて、本件文書の内容は公務上の秘密として公表できないものであり、民事訴訟法第二七二条の類推適用により本件文書についてはこれを提出する義務はない。

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